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特産品ものがたり
暮らしの新聞(兵庫県三田市、川西市、宝塚市、篠山市、西宮市、豊能町、猪名川町に集中配布の地域新聞)が
隔週金曜日ごと、HOTな情報を掲載しています。その豊富な連載記事の中から地域の風土と文化が育んだ特産
・名産品とその生産者にスポットを当てた「特産品みつけ隊」を紹介しています。

農村の危機を救ったダリア栽培  (兵庫県宝塚市上佐曽利)
 和名をテンジクボタンというダリア、今から70年程前に当時農村を襲った大恐慌からの再生をかけ、、わずか数人の有志が栽培を始めました。そ菜栽培、養豚、養鶏などあらゆる手段を講じたが成果を得られず、ダリアの球根6箱を購入、切花栽培を開始したのがその1歩。、5年後の昭和10年には園芸組合を成立。球根の取引もするようになったが戦争の勃発で、生産制限の憂き目にあうところ、ダリアの球根がイヌリンという多糖類の一種を含んでいることから軍需薬品原料として栽培の命令が下された。昭和25年に体制が切り替わり切花が従、球根が主体で、海外に輸出、アメリカには3万本が渡りました。現在は20人の栽培農家によって国内総流通数400万球の3分の1、130万〜150万球が出荷されている。4月上旬に種球を仮植し、仮芽出しを行ないます。きちんと芽が出た種球を今度は定植。6月後半に花が咲き始め、霜が降りる11月上旬頃まで鮮やかな花々で畑が埋め尽くされます。花が過ぎると球根を掘り出し、株分けします。1つの種球に平均5個ほどの球根がでる。これを茎から株分けしていきます。「何度も丁寧に陰芽(いんが)があるかを確認します、買った球根が芽を出さないことがないように細心の注意が必要」と、組合長の小西さんが説明されていました。              暮らしの新聞11月2日
宝塚市上佐曽利
佐曽利園芸組合
0797-91-0003
有馬温泉みやげは元祖ヘルシー食品・炭酸せんべい(神戸市北区)
 起源は神代まで溯り、日本最古の1つという有馬温泉には、含鉄強塩泉で赤い湯の金泉、透明で銀泉と呼ばれるラジウム泉や炭酸泉が沸いています。明治34年、この炭酸水を利用して日本で最初のサイダーが作られ、明治40年代に三津森本舗の創業者、三津繁松さんが炭酸せんべいを完成。当時、繁松さんには3人のアドバイザーがいました。炭酸水で温泉の名物を作ることをすすめた兵衛旅館の風早次郎当主。また、蘭学者緒方洪庵の次男の緒方惟淳さんは炭酸の良さを説き、材料に余計なものを入れないよう助言、そして、吉高屋当主吉田由兵衛さんには薄く焼く方が美味しいと教わった。それで、小麦粉、片栗粉、砂糖、塩、炭酸水というシンプルな材料で1ミリもない厚さの炭酸せんべいが焼き上げられました。赤ちゃんの離乳食や病後の老人食に注目され、緒方さんの病院でも採用されました。昭和30年頃まではせんべい1枚に1個の型で焼いていたが、今は9枚を1度に焼く型を数台使い、1人の職人さんが1日、4000枚焼いています。行商人が一斗缶に詰めて売り歩いた時代もあったが、昭和50年代には生地に卵を加え、クリームで挟んだボリュームのあるせんべいも出来たが、「いままた、本来の炭酸せんべいを求めるお客さまが増えています」と三津森本舗の弓削敏行社長。海外でも喜ばれているそうです。                                      暮らしの新聞9月7日                 神戸市北区有馬町290-1
元祖三津森本舗
078-903-0101
山里で生まれる海の幸、糸寒天(兵庫県川辺郡猪名川町下阿古谷)
 冬の猪名川町、すのこに並べた寒天を日干しにしているのを見たことがあるでしょうか。猪名川町で代々糸寒天を作る井谷恭一さんは4代目で下阿古谷の里で3人の若者達と4人体制で生産に励んでいます。寒天の原料はテングサで、日本の太平洋沿岸で採れたものやアフリカ、韓国、中国など世界各地から取り寄せられています。テングサは2日間水に浸した後、洗って泥を落とし釜で炊きます。ドロドロに炊きあがったものから液を絞り、この液を固まらせたものを細く引いていきます。絞りカスは肥料になります。さて、この後すのこに均等に並べて冷蔵庫に一晩寝かせて凍らせ、翌日、屋外で干します。よく凍るよう細くします。寒天作りは夜は凍てつき、昼は日干しが出来るほどの温度差が必要で、もとは冬季だけの仕事でしたが井谷さんは平成2年に冷蔵庫を導入して、生産地が減少する中で暖冬や季節を問わず一年中生産できる体制を備えています。羊かんや饅頭など和菓子に最適な糸寒天。スーパーなどでよく売っているのが角寒天で長野県が生産地です。関西で糸寒天の生産は亀岡市にある1軒とこの地の井谷さん1軒だけです。「いい寒天とはゼリー強度が高いものです」と言う井谷さんの寒天は細くする前の固まりから驚くほどの強度です。寒天はそのほとんどが植物繊維ですから、便秘対策やダイエット、そして、生活習慣病の予防にもよい食べ物です。  暮らしの新聞12月14日 糸寒天は道の駅いながわで300円(30g税別)で売られています 
兵庫県川辺郡猪名川町下阿古谷
製造元 井谷正作
0727-66-1035
漬けて閉じ込める春の香り 伝統の味・真菜漬  (大阪府豊能郡豊能町)
 今から300年前、菜種科の一種である真菜の原種がゴボウの原種と共に中国からこの地にもたらされました。標高450mの高さにあるため平野部より低めの気候、そして土地質との相性がピッタリと合い他所では同等の真菜はできないという。最近まで真菜はほとんどが地区内で消費されていましたが、平成元年「大阪府北部農と緑の総合事務所農業改良普及センター」の指導のもと特産品として商品化されました。「昔は草履との交換で近村の人びとが摘みにきていました」という里の長老の1人、川上詮量さん。中国から入ってきた時は搾油用の黒種と食用の赤種で戦時中は真菜で油を取ったことも。毎年、春の気配が感じられる3月半ば、真菜の花茎が伸び、花のつぼみがやや脹らみかけた頃が時です。午前中に畑で摘まれた真菜が加工所に集められ高山生産者組合の婦人部の人達で漬けられます。塩水できれいに洗い、4%のの割合の塩で漬けられます。食べ頃は4日目。鮮やかな緑色に漬けあがった真菜漬は、独特の風味と茎の歯ざわりが美味、「細かく刻んで食べるといい」そうです。ところで真菜と他の緑黄食野菜の成分を比較したところビタミンAとCがダントツ多く、鉄やカルシウムも多いということ。4月半ば頃には真菜をすきこんで耕した土地で同じく特産品のゴボウが育てられます。                暮らしの新聞4月6日 袋入り150g150円送料別途で
送ってもらえます
豊能郡豊能町高山260
高山生産者組合
0727-39-0058
長い歴史と伝統に守られて 名塩和紙    (西宮市名塩)
 名塩の地に紙すきが伝えられたのは戦国時代にさかのぼり、慶長元和の頃、名塩生まれの東山弥右衛門が越前で紙すきの技法を習得して帰り、さらにそこに泥を入れる事を考え作り出されたのが現代に伝わる名塩紙です。名塩紙は別名を間似合(まにあい)紙と呼ばれ親しまれてきました。原材料はガンビ、ミツマタ、コウドという野生の木。六甲山系には良質のガンビが多かったそうです。混ぜる泥は、青色にはカブタ土、白色には東久保土、黄色には天子土、茶色には蛇豆土が使われ、髪の色はこの4種プラス白茶色の5色になります。泥を混ぜ作った紙は色が変わらない、やけない、虫がつかない、ネズミがこないという特徴があります。この丈夫な紙は、ふすまや壁紙などに用いられることが多く、お寺をはじめ昔の建物や書物にも見られますがそのほとんどに傷みがないそうです。現在は神社仏閣の修復に使われ、馴染み深い所では二条城、西本願寺、金沢の兼六園内の成巽閣、日光田母沢御用邸や沼津御用邸などにも使われています。最も栄えた江戸時代には藩札もすいていて、一千軒が紙すき業をしていたそうですが今は谷徳製紙所のみとなりました。「名塩紙はカルキの入った水ではできない」と谷野武信さん。材料はすべて自然のもので水は山から引きすきげたもフシのないヤダケでつくるなど昔ながらの手作業を守っています。製品化された主なものはふすま紙、壁紙ですが、色紙、や短冊、金銀箔を打った紙なども作っています。金箔を何万回と打ち、やわらかく滑らかに練磨された和紙は女性必需品の脂とり紙に変身。谷野さんの紙を求めて世界中から人が集まります。「たくさんの人と出会えたことが嬉しい」と言う谷野さん。今息子さんが紙すきを修業中とか、歴史はまだまだ作られていきます。暮らしの新聞6月22日 兵庫県無形文化財
西宮市名塩2-2-23
谷野製紙所
0797-61-0224

木喰仏を和菓子に再現、木喰まんじゅう (兵庫県川辺郡猪名川町)
 文化4年、猪名川町を訪れた木喰(もくじき)明満上人がノミで彫って作ったという木喰仏26躯が北田原の東光寺や万善の天乳寺、上阿古谷の毘沙門堂などに残っています。今から4年前、社会教育課から、木喰仏のお菓子を作ってみないかと持ちかけられた同町木津の「やないづ本舗御菓子処うませ」の馬瀬貫一店主と奥さんの信子さんが苦心して完成させたものです。”木喰”とは真言宗の戒律で肉類を使わず、火を使わず木の実や山菜、そば粉を溶いたものを口にする厳しいもの。”木喰まんじゅう”は、町内産の良質な小豆が材料の粒アンをもち米・あわもち米でくるみ、一番外側を山芋とそば粉を混ぜた皮の三重のつくりとなっている。おまんじゅうをほおばると、あっさりやわらかなアン、もち米・あわもち米の弾力のある食感、素朴な味わいが口中に広がります。「材料に凝リ過ぎると自然体で生きていた木喰上人さんと合わない」と素朴さを大切にしたい馬瀬さん。きめ細かい配慮が味から伝わってきます。この他、焼き菓子として白小豆の粒アンを桃山生地にそば粉を加えた皮で包んだ”焼木喰”、木喰仏の顔が押された”木喰せんべい”があり、まんじゅうも焼菓子も口伝えに評判が広まり、売り切れてしまうほどの看板商品になっています。90歳の木喰上人の手によって造仏された木喰仏は微笑仏とも呼ばれて、見るものを和ませます。そんな上人の生き方がお菓子に表現されているようです。        暮らしの新聞6月8日 木喰まんじゅう130円焼木喰130円木喰せんべい20枚入り500円
猪名川町木津字御所垣内15-1
御菓子処うませ
0727-68-0008
豊臣秀吉も絶賛したという 一庫の炭(兵庫県川西市一庫黒川)
 奥行き4m、幅4m弱、高さ2m強もある手作りの大きな土の窯から次から次へと出てくる炭、窯の温度は100度ある。この蔵出し作業は熱いうちに行なわないと良い炭が出来ない。その後、窯入れ作業が行なわれ用意されたクヌギが一本一本立てられて次の炭焼きの準備が始められます。窯がいっぱいになったら再び火をつけて炭焼きが行なわれます。こうしてでき上がった炭が「池田お茶炭」として主に茶の湯で使われている一庫の特産品です。その歴史は古く、室町時代頃から盛んになり秀吉も好んだこの炭は、断面が菊の花のようで火付きと火持ちが良く灰は粉雪のようなのが特徴。現在でもお茶席には欠かせない炭としてクヌギは茶の湯用に出荷され、クヌギ以外の炭はバーべキュー用に。黒川地区には良質のクヌギが多く、戦前はほとんどの家庭で炭焼きを行なっていたが今は今西さん他一軒のみ。この道50年の今西さんは「良い原木を探すこと」が良い炭を作るポイントと言う。一回の炭焼きで出きる炭は約600k、休む暇なく窯に火がついている間は次の原木を手入れする時間です。火を入れた窯は3日程燃え400度まで温度も上がります。煙がなくなると炭化されたことになり煙突のフタを閉め酸欠にして火を消します。「季節や窯の性格によってタイミングは微妙に異なります」と今西さん。作業は早朝から行なわれ、かなりの重労働、でもお客さんから「良い炭を有難う」という手紙をもらうと「やっていて良かったと思うなあ」という今西さん。良い炭は人と人との信頼関係も作っているようですね。   暮らしの新聞5月11日 高級お茶炭は地方発送も
している。
今西さんのホームページ
川西市黒川字大上197
池田お茶炭
0727-38-0268(今西)
美しき竹細工  三田鈴鹿竹器  (兵庫県三田市)
 三田市鈴鹿で竹器の製造が始まったのは江戸時代中期頃と言われています。最初は農家の副業として”ざる”などの家庭用品が作られ良品が評判を呼んで近隣の川西や猪名川、篠山に行商によって売られていました。大正後期には高田四郎左衛門によって米国に輸出されたそうです。イースターやクリスマスに使う色付きの竹篭の需要が高まり産業として大きく成長して昭和30年頃はピークを迎えました。最盛期には同地の6割の家で製造されていましたが、やがてプラスチック製や樹脂製、外国製に押されて衰退の道へ。今では一級竹工芸技能士、植田一彦(竹仁斎)さんが唯一伝統を守り続けています。多くの職人を抱えていた植田さんの家も規模縮小を余儀なくされ、一時は辞めようと思ったこともあったそうです。植田さんの竹器は実用品でありながら繊細な美しさがあります。10月から12月にかけて高平地域などの竹林でマダケを採取、油を抜いて一カ月ほど天日乾燥させます。下処理の済んだ丸竹から編みひごを作るには熟練の技が必要。丸竹の表皮をむき必要な幅まで縦に割り揃えて厚みを調整します。薄剥ぎは足の指を上手に使って1ミリ以下に竹を剥ぎます。こうして出来た編みひごを編んで、篭や花器、傘立て、菓子入れなどが作られます。新しいデザインも積極的」に考えています。現在、三田市内の高平ふるさと交流センターと淡路風車の丘で一般の人に竹細工を指導する植田さんですが、何と言っても後継者が早く欲しいところ。しかし、一人前の技術を習得するのに最低5年はかかる厳しい世界、なり手はなかなか見つかりません。「先はわからんけど出きるところまで続けて行く」と決意を語る植田さん。竹の持つしなやかな生命力のようにいつまでも続けて欲しいものです。       暮らしの新聞4月20日 三田市鈴鹿264
三田鈴鹿竹器
0795-69-0029
丹波杜氏のふるさとに輝く地酒鳳鳴    (兵庫県篠山市)
 丹波杜氏のふるさとにある鳳鳴酒造は創業、寛政9年(1797)で200年以上の歴史があります。昭和20年、篠山市内にあった13の蔵が合併して統一銘柄を「鳳鳴」としたそうです。由来は戦時中にある蔵の人が満州に行っていて名前の意味を知ったことや地元に福沢諭吉が名付けた鳳鳴高校があって知名度があったことによるものです。酒作りは11月から3月中旬頃までで、ピークは1〜2月。年間一升瓶で20万本の酒が作られます。米は昨年秋に収穫された地元の「日本晴れ」「五百万石」の新米が使われ、大吟醸には県内の吉川、社、東条の「山田錦」を使っています。酒造りの工程というと玄米を精米し、洗ってから蒸し出し、麹作り、酒母造りが行なわれます。社長の井階さんは「糖化と発酵を同時に行なっているのが日本酒、そのバランスが難しい」と話す。バランスを支配する温度管理はもちろんのこと、品質管理まで蔵人さんたちの心がこめられ、指揮をとる杜氏さんは細心の注意が必要です。同社の中川博基さんはこの道40年以上、杜氏歴10年のベテラン杜氏さん。「試練の日々です、おいしいお酒ができたと言われるとやっていて良かったと思います」と。歴史も古く、神秘的なお酒ですが現在、音楽振動を与えながら醸造した「夢の扉」というユニークなお酒が開発されています。「純米吟醸・モーツアルト」720ml 1748円、「本醸造・ベートーベン」720ml 1359円、「デカンショ節の酒」720ml 1200円、の3種。本来の「鳳鳴」の味を守りながら、酵母に音楽振動が伝わり夢のある味にしあげている。中国の漢詩の中の「鳳鳴朝陽」から名付け、鳳が鳴くと国家が安泰するという意味を持つお酒なのです。 暮らしの新聞1月5日 篠山市呉服町73
鳳鳴酒造(株)
0795-52-1133
江戸時代から続く大粒でツヤよく甘い丹波黒大豆 (兵庫県篠山市川北)
 篠山市の特産品である丹波黒大豆は、艶がよく、いくら煮ても皮がむけないのが特長でお節料理の煮豆で有名です。6月にまいた種が、8月にれんげに似た紫色の花を咲かせ9月には、さやの種がどんどん成長しておいしい実を付けます。昔から旧多紀郡の農家では、冬の間は酒造りのため出稼ぎし、残り半年は農業で生計をたてていました。黒大豆栽培の発展は、米を年貢として納めていた江戸時代に始まりますが、川北地区は水不足に陥ると米がとれず、厳しい年貢米の取り立てが続く中で生活は苦しかったようです。集落共同で白大豆やワタ、ゴマなどを自給自足し、なかでも黒大豆は風土に合っていたのか、その出来は篠山・青山藩の殿様からも認められるようになり、特産品として発展していきました。黒大豆の歴史にも詳しい川北生産組合組合長の北川喜代治さんは「贅沢から出来たものでなく、厳しい時代の中で生まれた先祖の血と涙の結晶なのだ」という。さらに「江戸時代から伝わる方法そのままを伝承して特別なことはしていない、川北の黒大豆には化学では解明できない独特の風味を含んでいます。先祖から受け継いだ遺産を守り伝えて行きたい。ただ、川北地区では50軒あった農家が約半数になり後継者不足の問題もある」と厳しい現実を話す。現在、黒大豆の年間生産量は丹波地方を中心に約3500トンあり、うち川北産はわずか10トン。縁故販売もあるので、広く出まわることはなく入手するのは難しく、幻の川北産といわれる所以だ。篠山市内では、黒豆の館(市内下坂井)で手に入るかもしれません。10月中旬には黒豆枝豆の出荷が始まり、地域の味覚イベントや催しに特産品直売として参加しています。    暮らしの新聞9月21日 篠山市川北289
川北生産組合
地元の人にこそ食べてもらいたい三田米    (兵庫県三田市)
近年、急速なニュータウン化が進む三田市。県下では神戸市、姫路市に次ぐ広さで山地が多く自然に恵まれた地域です。この三田市で獲れる米の中に「ヤマビコ」という硬質米があります。昔から寿司米として市場で高い評価を得ています。「三田のヤマビコ以外は寿司米でない、それも古米になってから本当の米になる」と、寿司職人が口を揃える日本一のお米です。三田の米作りについてJA兵庫六甲・三田営農支援センターの田中智巳は「市では約10年前から消費者の好みに添った軟質の米を作ろうとコシヒカリの作付けを始めた、その後”さんキラリ”の銘柄でお馴染みの"どんとこい”を5年前から始め、食用米以外に、酒米の山田錦やもち米の”ヤマフクモチ”など品種の特性を考えつつ各地で作付けが行なわれています。そして新たに”ヒノヒカリ”を導入する準備が進めている」。現在、市内の小学校の給食で週3回のご飯には”サンキラリ”が使われている。JAでは減化学肥料、減農薬栽培の米作り推進や合鴨を利用した有機栽培で環境にやさしい「あいがも農法」による米作りなど量から質を重視した栽培体系がとられている。「三田の米をできるだけ市民に食べてもらいたい、特に子供たちが食べることで将来の米消費と農業への理解を示してくれるのでは」と希望を話す田中さん。三田米は、三田の地場産野菜などを扱う「パスカルさんだ」(三田市川除)で販売され、消費者に大好評のようです。     暮らしの新聞10月19日 三田市川除677-1
パスカルさんだ
0795-63-7744
赤く熟したたわわな実・イチジク     (兵庫県川西市)
 無花果と書くイチジクは川西市の特産品であり、桝井ドーフィンという品種で糖度が高く、大きいのが特徴です。近くに猪名川が流れ、砂地であるこの地域はイチジク作りに最適の環境。始まったのは昭和初期で、地中海地方産のドーフィン種の苗が持ち込まれたのがきっかけです。最盛期の戦後すぐには200軒程が栽培していました。今も約130軒の農家で作られ、年間約600トンが出荷される有数の産地なのです。収穫作業は夜明けと共に始まり、選別、パック詰め、出荷と手際よく午前中に終わり、取れたての新鮮なイチジクが市内、近郊の百貨店、スーパーに並びます。毎年8月、「アステ川西」で品評即売会が行なわれ、好評裏に幕を閉じます。収穫を終えたイチジクは、お礼肥料がまかれ12月から1月にかけ剪定、元肥をまく作業が行なわれます。春に芽が出ると芽かきといわれる作業を行ない、良い芽だけを残します。実がつくと害虫や病気から守るための消毒が行なわれ、再び収穫を迎えます。「一番大変なんは、やっぱり水やりの作業やな」という岡田一誠さん。乾燥に弱いのだけど、水をやりすぎるとダメ、長雨が続くと良いものができません。「たまに夕立なんていうのは助かるよ」。完熟した甘くて、やわらかいイチジクを朝取り、新鮮なまま出荷。「今後も守りつづけたい」と岡田さん。3月にはイチジクで作られたイチジクワイン「川西の朝露」が、市内の酒販店で1460円(720ミリリットル)で限定販売されます。  暮らしの新聞8月24日 100%イチジクワイン
川西市久代
春の訪れを告げる三田うど  (兵庫県三田市)
 三田市の特産品である三田うどの栽培は大正5年から始められました。もともと大阪の三島へ視察に行き、門外不出のうど株を特に学校教材用として持ち帰ったもので、地域産業振興のために試作し導入されました。この道40年の仲義之さんはJA兵庫六甲さんだ野菜部会うど部門の役員をされています。いまでも、昔どおりの栽培技術で農薬を使わず、夏の太陽を十分に吸収した親株を乾草の発酵熱により軟下した純自然栽培で作られています。品種はアリマサンゴウといわれるもので、4月上旬に親株を植えつけるところから始まり、夏に成長した木が枯れてから、その株を抜き、ついている小株をひとつずつ取り、11月の終わり頃にワラでできた軟下用の小屋に植え付け、ワラをのせ、その発酵熱だけで育っていくという、なんとも不思議なものです。しかも、うど小屋に入ってから出荷までは約45日。たった45日で約80cmもの大きさに成長するのです。うど小屋には、所々に竹の棒を差し込み、棒を使って成長を計るのですが考案したのは仲さん自身。長年の経験がものをいいます。収穫もひとつひとつ丁寧に手作業で、株の部分を残すように行なわれます。「根をはずすように切る、株の部分は残さないといけない」と仲さん。毎年うど小屋は作り替え、土の付いた親株は重い、全て手作業といううど作りはかなりの重労働で、手間がかかります。「後継者問題が・・・」と、将来の悩みを抱えながらも今日もうど作りに邁進しています。今年は例年の1.5倍近い収穫量が見込まれ出来は上々、パスカルさんだ(三田市川除)で販売されています。  暮らしの新聞2月22日





早春の香り 三田うどは
パスカルさんだで販売しています
生産者は
仲義之さん(写真)ほか17名が携わっています